京都観光 おすすめ 京都の庭園 江戸時代~明治時代

2019.09.21 (土)

京都観光 おすすめポイント 京都の庭園 小堀遠州の作庭

茶の湯は江戸時代においては特に社交の場として発展・展開し、書院造庭園の要素としても組み入れられることになりました。また多くの武家が禅宗寺院の壇越になったこともあって大徳寺や妙心寺などの塔頭に多くの庭園が営まれるようになりました。そこでは茶室と露地の伴う庭園が多く見られます。大名茶人として有名な小堀遠州が大徳寺山内に営んだ孤蓬庵(こほうあん)は、書院座敷に草庵茶室を融合させるという新機軸を打ち出したもので、露地も書院造庭園との融合を果しています。小堀遠州は徳川幕府の作事奉行、伏見奉行として活躍し金地院庭園や二条城二の丸庭園の作庭に携わり大名であり茶人であり作庭師でもあるマルチ・タレントな人だったのです。

京都観光 おすすめポイント 京都の庭園 回遊式庭園

一方で近世初頭に公家が営んだ庭は、桂離宮や修学院離宮に代表されるように王朝時代の風流を受け継いだ池庭でした。その空間構成をみてみると、池庭の周囲にはいくつもの茶屋や茶室が配置され、詩歌や茶の湯を楽しむ場となっていました。舟遊びやそぞろ歩きを楽しむこのような形式を回遊式庭園とよび、池庭式・枯山水・露地といった日本庭園の各様式を集大成した庭園です。

武家においても大名は自邸に将軍の御成を迎えるために競って広大な庭園を営みました。これらを大名式庭園とよび、おおくは回遊式庭園の形式を持っています。御成の儀式には茶の湯の饗宴が不可欠だったため池庭に茶室を配した回遊式庭園の形式が採用されました。京都では、西本願寺滴翠園(てきすいえん)・東本願寺渉成園(枳殻邸)・醍醐寺三宝院庭園などの寺院の庭園に例を見ることができます。

京都観光 おすすめポイント 京都の庭園 近代の日本庭園

明治維新後、事実上の東京への遷都により京都は政治的・経済的に一時的に衰退しましたが、山県有朋の無鄰菴(むりんあん)をはじめとして岡崎・南禅寺界隈に琵琶湖疏水を利用した別荘庭園群が営まれるようになり、武家社会とは異なる新たな社交の場が誕生しました。

京都の近代庭園界において中心的な役割をはたしたのが七代目小川治兵衛(植治)で、東山を背景に取り込み野山に小川が流れるという身近な里山の風景をモチーフにして、五感で味わう自然としての庭園誕生させました。七代目小川治兵衛(植治)は個人庭園だけでなく、平安神宮神苑や円山公園のデザインも行いました。

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